午前9時前、地下鉄・平安通駅のホームは、すでに「戦場」だった。 溢れんばかりの人、人、人。増発の案内は虚しく響き、人の波は一向に動かない。1本目を見送り、ようやく身体をねじ込んだ2本目の車内は、東京の山手線もかくやという、文字通りの「すし詰め」状態だ。



10分間の「静寂」と、駅の「迷宮」
名鉄小牧線に入ると、事態はさらに深刻さを増した。最寄りの牛山駅は、1000人近い降車客を捌くにはあまりに小さすぎたのだ。 「降車調整のため、停車します」 アナウンスが流れ、2駅手前で電車は動かなくなった。臨時停車10分。わずかな時間だが、焦燥感が募る。 ようやく牛山駅に降り立っても、改札を出るまでがひと苦労だ。だが、私はあえて「ドニチエコきっぷ」という小さな賭けに出ていた。精算所の列を危惧したが、右手の臨時精算所は意外にも空いている。わずか数分で関所を抜け、基地の門をくぐった。

整備士たちの「静」と、パイロットの「動」
手荷物検査を終え、トイレの長い列という「洗礼」を浴びた後、私は決断した。 「ここを動かない」 ブルーインパルスの駐機スポット前、3列目を確保。キッチンカーの誘惑は断ち切った。

12時過ぎ、機体の周りに整備部隊が現れた。リラックスした雰囲気だが、指先には一分の隙もない。時折決めポーズも披露してくれたり、サービスには好感が持てる。

13時、場内アナウンスを合図に空気が変わる。整備員の背筋が伸び、パイロットたちが愛機へと乗り込む。 キィィィィン……というジェットエンジンの咆哮が腹の底に響き、3機ずつエンジンが始動。いよいよ、出発の時だ。

40分間の「至福」



離陸。 メイン会場から見上げる曲芸飛行は、まさに圧巻の一言だった。抜けるような青空に描かれた白い軌跡。この日は、米国とイスラエルによるイラン攻撃の翌日。平和の大切さを痛感し、日々、この国の空を守る者たちへの敬意が、自然と胸に込み上げた。
興奮冷めやらぬまま、戦いの場は「帰路」へと移る。 激混みの牛山駅は、出場制限されており、私はべつの「北出口」を選択した。これが、この日最大の勝機となる。向かう先は、徒歩20分ほどのバス停。岩倉駅まで30分でアクセスするお興産だった。15分前に到着すると、1組待っている。これは行ける。その考えは、バスが目の前に着た瞬間崩れ去った。超満員。運転手さんに「これ以上乗車できません、歩いて向かうようお願いします」といわれた。
ここで、プランB。徒歩30分、マイナーなローカル路線のバスに乗ることができた。黒川経由で地下鉄へ滑り込む。座席に深く腰掛け、スマホに収めた動画を見返す。そこには、あの轟音と、眩いばかりの青い翼が映っていた。
【教訓と反省】次回の自分、そして同志たちへ
今回の参戦で痛感したのは、**「空の青さに騙されるな」**ということだ。 快晴であっても、吹きさらしの基地内は想像以上に冷える。以下の装備は「生存戦略」として必須と言える。
- 防寒三種の神器: ニット帽、マフラー、手袋。これがないと待機時間に体温を奪われる。
- 待機を支える足腰の味方: 屋外用クッションイス。アスファルトの冷たさは強敵だ。
- 兵糧: お菓子とドリンク。場所取りを始めたら最後、買い出しは絶望的。
- 万が一の備え: 簡易トイレ、イヤホン(音の遮断や暇つぶし用)。
そして、最大の反省点は**「時間」**だ。 平安通での混雑、電車の遅延、駅からの渋滞……すべてを考慮するなら、あと1時間半は早く家を出るべきだった。
勝利の余韻に浸りながら動画を見てニヤニヤしている私は、周りから見れば、いささか怪しい中年男だったろう。だが、この日、あの場所にいた者だけが知る「勝利の味」と「次への課題」が、私の手の中には確かに残っていた。

